違法判断の基準時(田中説)

拙稿「都市計画と司法統制」で違法判断の基準時について少しだけ触れたのですが、深く考えることはできませんでした。今日この問題については、取消訴訟の本質論からではなく、「具体の行政過程における法律の仕組みごとに考察すべき」*1「行政実体法、手続法の問題に解消されるべき課題」(鈴木・行政法の争点(新版)219頁)という見方がおそらく主流なのではないかと思われます*2*3が、この問題は、美濃部−田中−雄川が全て判決時説を採っていたにもかかわらず、それが常に少数説だったという意味で、学説史上興味深いものでもあります*4

さて、学説史的観点からは、特に田中説について、行政庁の第一次的判断権を重視する(=法定外抗告訴訟に否定的)立場と、判決時説とがどのように整合するのかはなかなか難しいところです*5常識だったのかもしれません。その場合どうぞご教示をお願いします。

田中二郎『行政事件訴訟の特質』(1953年,司法研修所

(10-11頁)「最近の学説は撤回の自由を制限する理論を肯定します。しかしそのことによって根本において行政の活動(11)が事情の変化に応じて判断を変えてゆかなければならない、法律そのものも変つてゆくし、法律の下に具体的の活動も変ってゆかなければならないということを無視することはできないと思うのであります。
 こういった事情も、これも後に申し上げたいと思いますが、行政行為の効力を争う事件において、いつの法に従い、いつの条件の下に判断をするのか、いわゆる行政事件訴訟における判断の基準時如何の問題として具体的に現れて参ります。行政そのものが可変性のものであるということの特色に基ずき(ママ)、この問題についても従来の裁判所の採られる考え方でいいのかどうかということについて、私は疑問を持つわけであります。あとで申し上げることにいたします。それから、同じ行政の可変性、あるいは合目的な政策の追及、こういつた問題の一つの現われとして行政の判断というのは多分に専門的であり、技術的な性質をもつているということ。それからその行政については行政権の責任というものを追及し得るところに、行政の民主化が実現され、新らしい(ママ)行政の特色が認められる(強調は引用者)と思うのであります。」
(24ー25頁)「(選挙の効力など)処分時に適法であつたかどうかという判断をすべき場合があることは認めますが、しかし、多くの抗告訴訟においては処分時にそれが適法であつたかどうかということの判断を求める。即ち、行政行為をした行政庁の責任を追及するというような意味をもつものではなくて、現在、違法が争われている、その処分を現行の法令に照らして、現行の条件の下に維持することができるか、適法として維持すべきか、違法として否定すべきかという判断を求められている。
(略)
 営業免許の拒否処分をした。その拒否された者から訴訟によつて拒否処分の取消しを求める。あるいは違法であることの判断を求めることになつた場合の、そのときの法令と、そのときの条件に従つて営業免許の拒否処分をしたのが違法であるという判断をするのが、行政事件訴訟の目的であるのか、現在の法令と条件に照らして営業免許の拒否処分をすべきか、すべからざるかの判断をするのが行政事件のネライであるのか、これが問題と思います。法令は前にも申しましたように、事情によつてだんだん変つてくる。また本人について存在する条件も次ぎつぎに変つてくる。若し、こういう事件で処分をしたときに、それが違法であつたということで、仮りに取消すといたしましても、拒否処分を取消し、あるいは一部の人が言うように、このものに対しては営業免許をなすべしという判決をするとかあるいは裁判所が自ら代つて営業免許をするということをしますならば、これはとんでもない間違いを来たすことになる。私はそのときに仮りにそのときの法令に照らして、本人に条件が整っていて、拒否すべきものでなかつたといたしましても、現在法令上また本人の条件に照らして営業免許を拒否すべき理由がある場合には、営業免許を拒否した処分を適法として是認するということが、行政事件訴訟における本旨とすべきところではないか。
(略)
処分時の法令と条件によつて判断するということでありますと、結局、その当時こういう処分をしたのは違法であるという判断に止まつて、それは行政庁に対する責任を追及する意味をもち得るに過ぎない。そういう処分時の判断をしながら若し一部の人が主張しておりますように、裁判所が給付判決をする、あるいは自ら行政庁に代って処分することができるということになりますと、とんでもない結果を来すことになるのではないか、こう私は考えております」

 おそらくは、兼子=田中の一貫した義務づけ訴訟否定論の立場を前提としつつ、それでも、判決時の公益にも合致する処理を実現しようという発想をつなげようとして苦しい理論になっているような印象を受けますが、ここで田中がなぜ「とんでもない間違い」「とんでもない結果」と述べているのかはよく分かりません。処分時は違法だが判決時は適法な申請拒否処分を取り消したとしても、その効果が直ちに(再申請により、あるいはよらずして)申請認容に結びつくものではないでしょうし*6、また、小早川・前掲が指摘するように、現在まで有効であるべき許可を遡及的に与える余地がある場合もありうるはずです。ここでの「とんでもなさ」は、当該処理が妥当でないという意味ではなく、司法と行政の関係についての一般論の関係から見た「とんでもなさ」について述べていたという可能性もあります。

ただ、あるいはこの時期の田中は、行政の可変性・合目的性・「民主化」を強調する観点から、まさに上のような遡及的処理によって法状態・事実性の「可変性」(=社会の改革可能性)が制約されることを心配していたという考えもなりたたないではありません。

しかし、次の文献を読んで、どうもそれはダメかな、と思うようになってきました。

田中『行政争訟の法理』117-118(1954年(初出(未確認です)・法協68巻1号(1952年))

「(選挙当選訴訟などは別として)(a)一般の行政事件訴訟においては、その趣旨とするところは、決して係争の行政処分がその処分のなされた当時において違法であつたかどうかを確認して、行政庁の責任をただすことを目的とするものではなく、現在において何が正しい法であるか、いいかえれば、現在、その処分が現行の法規に照らし維持されるべきや否やを判断し宣告することを目的とするものとみるべきである行政処分は、当然に無効と認められるべき場合の外は、一応、適法性の推定を受け、相手方を拘束する力(公定力)を有するものであり、権限ある行政庁(又は裁判所)の取消を俟つてはじめて、その効力を失うべきものである。而して、その取消は、その取消をなす当時における法規に照らし、而も、実質的にこれを取消すだけの公益上の必要のあることを要件とすべきものであるから、行政事件訴訟において、その取消を求める場合においても、それと同様に解すべきである。(b)即ち、法律に反対の定めがあるか、又は特に反対の理由のある場合の外は、常に判決当時の法令及び事実を基礎として判決されなければならぬ。このことは、夙に、美濃部博士の主張されてきたところである。行政事件訴訟を提起した後、法規の改正により、現在の法規上、係争の処分がもはや違法でなくなつたとき又は行政庁による処分の更正若しくは法令を適用すべき事実の変化等の事情の変更により訴えの目的の消滅するに至つたときは、判決当時の法規及び事情を基礎として、原告の請求は棄却されるを免れない。」

ここで下線部(a)(b)は、美濃部・日本行政法上1003-1004頁の見解をほぼそのまま紹介したものです((ちなみに美濃部の記述は、「法令や行政行為の変化(「繋争の行政行為が訴訟繋属中に更正せられた」場合)も含めていること、田中とは対照的に、事実状態の変化により行政行為が違法となる例を挙げていることも興味深いです)。ここの田中の議論の独自性は、その間の部分、即ち、一方では公定力論と、他方では、瑕疵ある行政行為の取消の制限、即ち、

「一旦、有効な行政行為がなされると、それを基礎として新らしく(ママ)法律秩序が形成されて行く。従って、行政行為の成立に瑕疵があったというだけの理由で、無条件に、その取消をなし得るものとすることはできない。それは、既成の法律秩序を破壊し、法律生活の安定を阻害する虞なしとしないからである。そこで、主として法律秩序を維持し尊重する見地から、現実に取消をなし得べき場合について、条理上の制限の存することを認めなくてはならぬ。一般的にいえば、瑕疵ある行政行為についても、これを取消すためには、その取消を必要とするだけの公益上の理由がなければならないと解すべきで、行政行為が違法又は不当であるからというだけで、常に取り消し得るという見解(昭和4年4月13日行判録390頁)は妥当な見解とはいえない(手続上の瑕疵を理由として、一旦、取り消しても、結局は同じ処分を繰り返さなくてはならないような場合は取り消すだけの公益上の必要があるとはいえない。こういう場合は、はじめから取消し得ないと解すべきである)」(行政法総論(1957年)356頁)

と結びつけていることにあるようです*7

もし違法判断の基準時論と取消制限の理論との間に、不可分の結びつきがあるとするならば、上で述べた、『行政事件の特質』の記述を「遡及的な処理を心配していた」と理解する仮説は成り立たないことになるでしょうか。

結局どうも分からないというのが私の情けない現状なのですが、他の仕事の合間にでも少しずつ調べていければと思います。ご教示をいただければ幸いです。

*1:塩野・行政法II(第4版)182頁

*2:なお、小早川・法学教室160号120頁は、処分の種類(不利益処分・申請拒否処分・申請認容処分)と法又は事実状態の変動の二方向(適法化・違法化)に分けた考察を展開しています

*3:ただし、義務づけ訴訟との関係で、議論すべき素材は増えています。さしあたり山本隆司「訴訟類型・行政行為・法関係」民商173巻4・5号673頁

*4:鈴木・前掲は、あるいはアイロニーなのかもしれませんが、「「今後は何故わが国で違法判断の基準時が争点になったか、この点こそ学説史上の『争点』になる必要があるまいか」と述べています。

*5:塩野・前掲183頁注(1)))。まだまだ調べる途中(そして、当分終わる見通しはない)なのですが、メモとして紹介しておきたいと思います。申し訳ありませんがこの問題についての先行研究の調査を全く行わないままで書いていますので、とっくの昔に分析されていたものなのかもしれません。あるいは、田中と同時代の研究者にとっては((私自身は田中二郎のいわゆる「弟子筋」に位置するわけですが、田中先生がお亡くなりになったのは私が大学に入学した年で、面識を頂く機会はありませんでした。

*6:特例法時代から、田中は「主文及び理由に示された判断に従って拘束」(行政争訟の法理122頁)としています

*7:また、訴えの利益論と違法判断の基準時論がまだ未分化であったように思われます。