勉強不足でした
前エントリで触れた二項道路に関連する試験問題を実際に見てみたのですが、この事例が、ある程度まで現実の問題をふまえているのだとしたら、自分の勉強不足を思い知るばかりです。
正直なところ、二項道路の問題は、「混乱期に時間・予算・マンパワーの不足により一括指定してしまった負の遺産のつけまわし」としてしか認識していませんでした。しかし、合併に伴い、あのような形の問題が−少なくとも潜在的には−生じているということを認識した次第です。自治体法務に暗いのは恥ずかしいですね......
いままで二項道路については、前エントリでも触れましたように、一括指定という「方式」が違法だという主張は十分ありえますが、それ自体の「なかみ」(厳密な表現を避けていますが)が違法だという主張は想定しにくかったと思われます。しかし、そのような主張があり得る設例になっているところが、この問題の興味深いところです。「方式」は適法と考えることが問題文上与件とされている(資料3)ようですので、
(a)一括指定それ自体の「なかみ」(新市長の措置の背景・経緯などをどのように主張に取り組んでいくかが問われることになるのでしょう)の違法性に関する主張と
(b)一括指定の適法性を前提としても、本件通路は二項道路にあたらないという主張
をうまく区分けしなければいけないのかな、という印象です。
2002年最高裁判決は、もっぱら(b)についての争いを想定した上で、処分不存在確認訴訟で争うという筋道をつけたものと考えられます。(a)についての争いまで想定すると、さて、どうなるのか。(b)については、前エントリで書いたように、出訴期間が過ぎて違法性の主張が遮断されるというのはいかにも非常識な結論ですが、(a)については、絶対にありえないとはいえないように思います。(a)(b)は、一般―個別的な関係にありますが、法令→行政処分という本来のモデルであれば、法令そのものが違法であれば当然行政処分は違法になるわけで、法令制定から時間がたっているから違法性の主張が遮断されるなどということは起こりえないわけです。ところが、前エントリで書いたように、(a)は可分的な(b)の集積だというのが最高裁の理解のようで、そうなると、結構頭がごちゃごちゃしてきます。
それでは当事者訴訟で構成するとすると、今度は2002年最判との「付き合い方」を考えなければならないことになるのでしょうね。
まあ、プレテストもそうでしたが、論じようと思えばいくらでもいろんなことが出てくる、しかしあまりに深く立ち入ることを要求しているわけではない、といったところでしょうか。
問題文を読んで感心したのは、二項道路の趣旨や機能、同事例でどのような問題が生じているかについて、非常に要領よくまとめられていることです。私もかつて二項道路に関してレポートで出題したことがありますが、そのときの自分の記述のわかりにくさが恥ずかしくなります。もちろんそれでも、図面の読解等、受験生の皆さんは大変苦労したことと思います。それだけ入り組んだ問題なのだということでしょう。
ちなみに二項道路について必要と解する見解が多い「一般公衆の通行の用に供されている」「その道のみに接する建築敷地がある」等の要件は、告示(本問の場合は細則の法形式をとっているのが気になりますがたぶん(自信ありませんが)関係ないでしょう)で明定している例もあるようですが、問題文の場合は含まれていないようです。弁護士のまとめなどを踏まえ、制度趣旨を踏まえた解釈論としてこれらの要件を説得的に構成できるかが問われているのでしょうか。
上のような本案の問題について触れているものとして、
・金子正史「二項道路に関する2、3の法律上の問題」自治研究78号2号、3号(特に2号10-19頁)
・久保田浩史「建築基準法上の道路(2)―みなし道路指定処分」『裁判実務体系29公用負担・建築基準関係訴訟法』(青林書院、2000)461-469頁
・石森久広「建築基準法第42条2項『みなし道路』の判断基準」アドミニストレーション7巻1号101頁(図示もあり、各説の帰結を明快に説明している)
がありますが、当然ながら、2002年最判を勉強していても、これらの文献まで読んでいる受験生の方はほとんどいない―ゼミで報告を偶然担当でもしていれば別ですが―と思われます。私自身、この判例を勉強する際に一応目を通してはいましたが、今回改めて読み直した次第です。「新司法試験は個別法の知識そのものを問うものではない....個別法を素材にして、行政法の体系的理解を問う.....」(高木光先生)ものなのでしょうから、上のような文献まで読むことが求められているものではないことはいうまでもないと思います。
ただ、平素の法科大学院の授業で訴訟法に関する判例を取り扱う際、その背後にある実体法上の問題まで理解する習慣が身についている方の方が、本番で適切な解釈論を構成できる蓋然性が高い、とは言えるのかもしれません。あまりに効率的な勉強法を志向しすぎると危険、ということなのでしょうか。いうまでもなく、個別問題にのめりこみすぎることにも問題があるでしょうが。(5/26一部修正)