鞆の浦世界遺産訴訟:仮の差止めに関する決定について

以前のエントリで触れた鞆の浦の埋立て架橋計画をめぐる訴訟の記事です。

    <中国新聞2008.3.4>
(鞆架橋の仮差し止め却下)
     福山市鞆町鞆港埋め立て・架橋計画をめぐる埋め立て免許差し止め訴訟で、広島地裁は3日までに、計画反対の住民らでつくる原告団が申し立てた、広島県による免許の仮差し止めの訴えを却下した。一方で、大半の原告に、景観利益または排水権があることを認める内容となった。
     2月29日付の広島地裁の決定文によると、鞆町には歴史的な港湾施設や町家が残り、国の重要伝統的建造物群に選定される可能性があるなどと指摘。その上で、鞆港周辺に住む人が「法的保護に値する景観利益を有する」と認めた。
     排水権について事業主体の広島県、市は、鞆港に生活排水を直接流す住民のみについて認めている。決定は、公共の管や溝を通じて流しても権利が生じるとした。
     地裁は、景観利益か排水権の所有を主張する原告163人のうち160人について原告適格を認める一方、申し立ては仮差し止めの要件を満たさないと判断。県が埋め立てを免許してから着工まで一定の期間が見込まれるため、行政訴訟法が定めている「緊急の必要性があるとはいえない」と却下した。

(却下も景観利益認める判断)
    福山市鞆港埋め立て架橋計画の免許仮差し止めをめぐる広島地裁の決定は、原告の申し立てを却下したが、内容的には原告の主張の多くを認める司法判断と言える。鞆町の住民に景観利益があり、計画に反対する多くの住民に排水権があるとすれば、計画推進が公有水面埋立法に反する可能性も出てくる。つまり事業の「違法性」にさえ踏み込んだとの解釈もできる。
     「景観利益が認められたことは画期的だ」。記者会見した原告側弁護団の藤井裕弁護士は、地裁の決定をこう評価した。公有水面埋立法に関する訴訟で、景観利益が認められた前例はないとみられるという。排水権も、所有範囲を広島県、市の解釈より拡大した。

 広島地裁の2月29日付の決定はこちらの原告サイドのサイトから読むことができますが、上記の記事でも述べられているように、興味深い点を多々含んでいます。

1.「法律上の利益」
1.1 本決定は仮の差止めの申立て(行政事件訴訟法(以下、行訴)37条の5)に係るものですが、前提として、本案訴訟である差止め訴訟の訴訟要件としての原告適格(行訴37の4?)が検討されることになります。本決定は、いわば埋立て免許の名宛人に準ずる地位にある慣習排水権者(その範囲に関する判断も興味深いですが、ここでは割愛します)に加えて、周辺住民のうち「歴史的町並みゾーン」内の居住者に、「景観利益」を根拠に原告適格を認めています。

まず、
(ア)処分の根拠法である公水法および「目的を共通にする関係法令」としての瀬戸内法の規定を確認した上で、

(イ)上記景観利益に関する一般論として、国立マンション民事最高裁判決(最判2006.3.30)を引用して、

「景観は,良好な風景として,人々の歴史的又は文化的環境を形作り,豊かな生活環境を構成する場合には,客観的価値を有するものというべきである。そして,客観的価値を有する良好な景観に近接する地域内に居住し,その恵沢を日常的に享受している者は,良好な景観が有する 客観的な価値の侵害に対して密接な利害関係を有するものというべきであり,これらの者が有する良好な景観の恵沢を享受する利益(景観利益)は, 私法上の法律関係において,法律上保護に値するものと解せられる」

と述べています。

その上で、

(ウ)として、?公水法の埋立免許の基準における環境配慮規定?公水法利害関係人の意見書提出規定?瀬戸内法の配慮規定(景勝地としての恵沢を含む)?瀬戸内法上の国の基本計画・県計画の環境配慮規定をあげ、

さらに、

「(これら)各点に加えて、本件埋め立ての施工内容が上記認定のとおりのものであり、これにより申立人らの上記イの景観利益が大きく侵害され、本件埋立てが施工されればこれを原状に回復することはおよそ困難であることを併せ考慮すると,この景観に近接する地域内の居住者,具体的にいえば,少なくとも申立人らが指摘する歴史的町並みゾーン内の居住者....は,法的保護に値する景観利益を有するものとして,本件埋立免許について行訴法37条の4第3項にいう法律上の利益を有するというべきである」

と述べています。

1.2 この判断手法については、以下の点が注目に値すると思われます。

(1)国立最判の「景観利益」論には「都市の景観」という表現がありましたが、その「都市」が本決定では省略され、いわゆる都市景観とは若干相違がある鞆の浦にも適用されています。同最判は、国立民事一審(宮岡判決)のように「景観共同形成型」(吉田克己教授)としての事案の性格に着目してなされたものではないことに鑑みれば、射程を都市に限定する必要は必ずしもないと考えられます。

(2)また、最判の「景観利益」論は民法上の不法行為の文脈で述べられていたものでしたが、本決定は、これを原告適格の議論に結びつけています。もっともそれは従来の「処分要件説」的な判断手法を離れているわけではなくそれを前提としていますが、その上で、「景観利益」論は、以下の2点で役割を果たしています。

(i)景観利益の私法上の要保護性を強調することで、「環境」への配慮を定める公水法・瀬戸内法の規定及び利害関係人の意見提出権規定が、「景観」の保護も含むという解釈論的帰結が導かれています。

(ii)景観利益の重要さ、そしてそれが「大きく侵害され」ること、原状回復の困難性などが強調されています。これらは、行訴法9条2項にいう「当該処分又は裁決がその根拠となる法令に違反してされた場合に害されることとなる利益の内容及び性質並びにこれが害される態様及び程度」として読み込まれていると考えることができます。

(3)そして、(2)(ii)でも触れたように、本決定は、埋め立てにより景観利益が「大きく侵害」されるとしています。その「大きさ」は、原告の主観的事情のみに着目しているわけではなく、鞆の景観の文化的歴史的価値の客観的な大きさ、その不可逆的性質も反映していると考えられるでしょう。国立最高裁判決が「客観的な価値の侵害に対して密接な利害関係を有する」と述べていることとこれは対応します。

1.3 国立最高裁判決の「景観利益」論について、「外延が広がる一方で、非常に弱い内実しか持たない」と拙稿(法律時報79巻9号32頁)で指摘したことがあります。同判決が、不法行為法について、立法・行政の第一次性を強調していることを念頭に置いたものです。しかし他方、まさに「外延が広がった」ことで、さまざまな展開と創造的解釈を可能にするオープンスペースの創出につながっているのかもしれません。

2 「償うことのできない損害を避けるための緊急の必要」

本決定は、行訴法37条の5?項の「償うことのできない損害を避けるための緊急の必要」が認められないとして、結論的に申し立てを却下しましたが、ここでもその理由付けにさまざまな注目すべき点が含まれています。

2.1 まず裁判所は、この要件に関する一般論として,

「償うことができない損害を避けるため緊急の必要」がある場合については,当該行政処分それ自体によって直接的に発生する損害が償うことのできないものである場合がこれに当たるのはもちろんであるが,当該行政処分それ自体ではなくこれに基づく執行によって発生する損害であっても,それが償うことのできない損害であり,かつ,当該行政処分がなされた以降間もない時期に同執行が着手されることが見込まれる等の事情から当該行政処分がなされた後直ちに取消訴訟を提起すると同時に執行停止を申し立てて執行停止の決定を受けたとしても,その損害の発生を防止できない場合もこれに当たると解するのが相当である」

と述べています。

(1)おそらく通説的と思われますが、上記要件の有無を、処分後に提起される「取消訴訟+執行停止」との比較で考察する枠組みを示しています。

(2)この枠組みで考えると、本件(慣習排水権者である原告に関する部分を除く)のような申請応答型処分(講学上の許可ないし特許)に対する第三者からの仮の差止め申立ては、認められるのがそもそも難しくなることは否定できません。

ただし本決定は、「償うことのできない損害」に(i)「当該行政処分それ自体ではなくこれに基づく執行によって発生する損害」を含めた上で、(ii)「当該行政処分がなされた以降間もない時期に同執行が着手されることが見込まれる等の事情」がある場合には、認められる可能性を認めています。その上で本決定は、(iii)埋立て工事が「早くとも本件埋立免許後1か月程度を経過してから着手され,場合によっては2か月程度が経過してから着工されることが予測される」こと、(iv)処分後の執行停止に関する許否の決定が迅速になされうるという2点を認定して、申立てを退けているわけです。逆に言えば(iii)と異なり、工事等(「処分の執行」という表現が適切かどうかは微妙なところでしょうが)がより早期になされることが予想される案件では、認められる余地もあるということになります。

2.2 その上で本決定は、

「本件の本案である差止訴訟は,既に当裁判所に係属し,弁論期日が重ねられ,景観利益に関する当事者の主張及び書証による立証はほぼ尽くされていることを併せ考慮すると,景観利益を法律上の利益とする申立人らは,本件埋立免許がなされた場合,直ちに差止訴訟を取消訴訟に変更し,それと同時に執行停止の申立てをし,本件埋立てが着工される前に執行停止の申立てに対する許否の決定を受けることが十分可能であるといえる。」

としています。

処分がなされた後、差止訴訟を執行停止取消訴訟(誤記を訂正しました。2008/11/19)に変更し、同時に執行停止を申し立てるという手段が可能であることを本決定が明言していることは重要です。このような手段が認められるべきことは既に有力学説によって主張されてきました(『行政訴訟の実務』(第一法規)37条の4解説(山本隆司))が、実務上の取り扱いは必ずしも確立していなかったとも聞きます。この取り扱いを認めれば、実質的には処分前に準備を重ねた上で、処分後損害が生じる前に迅速に裁判所が執行停止の許否に対する判断を下すことも期待できます。逆に認めなかった場合、本決定が指摘するように、本件で執行停止の前提になる慣習排水権・景観利益等についても主張立証が必要だったことを考えると、迅速な判断が難しくなることが予想できます。このような取り扱いを認めるかどうかは、差止め訴訟の機能がどのようなものになるかに大きく関わっていると言えるでしょう。

3 景観に関する実質判断&執行停止との関係

となると、この訴訟の次の主戦場は、埋立免許処分に対する執行停止の可否になることが予想されます(上のような判示からして、埋立て免許前に裁判所が差止め訴訟を却下することはあまり考えられないと思います)。その点で、本決定が、景観に関する実質判断にもある程度踏み込んでいることが目を引きます。

(i)「法律上の利益」に関する部分では、

「(埋立工事)により申立人らの上記イの景観利益が大きく侵害され,本件埋立てが施工されればこれを原状に回復することはおよそ困難である」

「償うことのできない損害を避けるための緊急の必要」に関する部分では、

「本件埋立てが着工されれば,焚場の埋立てなどが行われ,直ちに鞆の浦及びその周辺の景観が害され,しかも,いったん害された景観を原状に回復することは著しく困難であるといえる」

と述べています。

「法律上の利益」に、鞆の浦景観の客観的文化的歴史的価値およびその不可逆性が読み込まれうることを前提として、それを「償うことのできない損害を避けるための緊急の必要」につなげているわけです。

(ii)また、「焚場の埋立て」に言及していることも重要です。

 本決定は、景観利益の箇所で、鞆の浦の景観について、疎明資料に基づく以下のような事実認定を行っています。

鞆の浦には,?雁木,?常夜燈,?波止,?焚場,?船番所が存在するが,これらは日本の近世の港を特徴付ける5つの要素であり,それ自体で重要な文化的歴史的価値を持つとされている(甲A4)。これら5つの要素が全て残されている港は,我が国では鞆の浦だけである(審尋の全趣旨)」

近世の港の「5つの要素」のうちの一つである「焚場」が失われる→客観的文化的歴史的価値の侵害→原告の景観利益の「大きな」侵害+原状回復は「著しく」困難という論理展開がとられています。

となると、本決定の解釈論に立ち、また、現段階での事実認定が覆されない限り、執行停止の要件としての「重大な損害」(行訴25条2項))が生じていることを否定することは、なかなか難しそうに思えます。また、着工後直ちに焚場の埋め立てが行われるとすれば、「緊急の必要」も認められるでしょう。

従って、残された争点としては、行訴25条4項にいう「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれ」「本案について理由がないとみえる」かどうかになります。埋立架橋計画の公益性・緊急性が、失われる景観価値をはるかに上回り、もって公水法4条3項2号あるいは3号の要件をみたすことの疎明に被告側が成功するかどうかにかかっていると思われます。その場合は、原告側の主張するトンネル代替案との比較ももちろん必要でしょう。

これらは行政側に疎明責任があると考えられる事項です。また、「本案について理由がないとみえる」については、「本要件を厳格に判断すると、執行停止の判断に時間がかかるなどしてその本来の機能が失われてしまう可能性もある。このことから、本要件の充足は申立人の主張に理由がないことが明らかな場合などに限定されるべきである」(『行政訴訟の実務』25条解説(第一法規)(北村和生))という指摘もなされているところです。