新指導要領パブリックコメント

朝日新聞2008年3月28日
指導要領、異例の修正 「愛国心」など追加 改訂きょう告示

渡海文部科学相は28日付の官報で小中学校の改訂学習指導要領を告示する。告示は改訂案とほぼ同じ内容になることが通例だが、総則に「我が国と郷土を愛し」という文言を入れ、君が代を「歌えるよう指導」と明記するなど内容が一部変わった。2月の改訂案公表後、1カ月かけて意見を公募。保守系の国会議員らから改訂案への不満が出ていたこともあり、文科省は「改正教育基本法の趣旨をより明確にする」ため異例の修正に踏み切った。
 修正は全部で181カ所。大半は字句の修正や用語の整理だが、総則に「これらに掲げる目標を達成するよう教育を行う」と挿入し、「道徳教育」の目標に「我が国と郷土を愛し」を加えた。
 小学音楽では君が代を「歌えるよう指導」とし、中学社会では「我が国の安全と防衛」に加えて「国際貢献について考えさせる」と自衛隊の海外活動を想定した文言を入れた。
 改訂案に対しては、自民党内から「改訂案が教育基本法の改正を反映していない」と早くから不満が上がっていた。八木秀次・高崎経済大教授が理事長の日本教育再生機構も同様の立場で、文科省に意見を送るひな型となる「参照用コメント」を公表していた。
 一方、中学社会の「北方領土が我が国の固有の領土」という記述には、韓国が領有権を主張している竹島も加えるよう要望が出ていたが、「政治的判断」(文科省幹部)から応じなかった。
 改訂案への意見公募は2月16日から3月16日まで実施され、計5679件が寄せられた。

意見提出手続(パブリック・コメント)の難しさを浮き彫りにしています。

1.パブコメによる修正

パブリック・コメントの意見内容とそれに対する文部科学省の回答は

こちらからダウンロードできます。

この回答を見ると、パブコメを受けた変更として、例えば以下のようなものがあることがわかります。(その他の修正も含めた改訂案からの修正点はこちら

14(上記「回答」の意見番号、以下同じ):
(意見)子どもたちの身体も心も健やかな成長を望むなら、各教科等において食育
の推進が必要
→(回答)ご指摘も踏まえ、告示では、幼稚園教育要領の領域健康のほか、小・中学校
学習指導要領の総則において「食育の推進」と記述するとともに、小学校の家
庭科、体育、特別活動及び中学校の技術・家庭科、保健体育、特別活動にお
いて食育について規定しました。

15:(意見)「国を愛する心」について、総則において明記するとともに、社会科以外で
も教えることを盛り込むべき。
→(回答)ご指摘を踏まえ、改正教育基本法の趣旨をより明確にすべき点はないか検討した結果、小・中学校学習指導要領の総則に、学校教育においては伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛し、公共の精神を尊び、他国を尊重し、国際社会の平和と発展や環境の保全に貢献する主体性ある日本人を育成することが目標であることを明確にしました。

47:(意見)我が国の歴史において宗教(神道、仏教、キリスト教)が果たしてきた役割
を理解させるようにすることが必要。また、仏教、キリスト教だけでなく神道
も教えるべき。
→(回答)中学校学習指導要領では、社会科〔歴史的分野〕内容(2)において「宗教のおこり」や「日本列島における農耕の広まりと生活の変化や当時の人々の信仰」などを規定しています。特に、「当時の人々の信仰」については、現行学習指導要領においても内容事項として規定されていますが、告示においては改訂案の「内容の取扱い」の位置付けから内容事項と修正しました。

53:(意見)日本の建国の由来及び神話の学習を充実すべき。我が国の歴史・伝統と密接な関係にある祝祭日の由来と意義を理解させるべき。
→(回答)小学校学習指導要領では、社会科〔第6学年〕内容(1)において「神話・伝承を調べ、国の形成に関する考え方などに関心をもつこと」と規定しています。また、内容(2)の取扱いにおいて、改訂案を一部修正し、「政治の働きと国民生活との関係を具体的に指導する際には、各々の国民の祝日に関心をもち、その意義を考えさせるよう配慮する」と規定しています。

68:(意見)和服の「着方」については、和服の「着装」にした方が適切ではないか。
→(回答)現行の高等学校学習指導要領家庭科における表現に合わせて、「着装」に修正しました。

92:(意見)児童生徒が国歌を斉唱できるとともに、国旗・国歌に対して敬意を表するよう教師が指導することが必要。
→(回答)学校における国旗・国歌の指導については、音楽において改訂案を一部修正し、「国歌「君が代」は、いずれの学年においても歌えるよう指導すること。」と規定しています。また、特別活動において「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と規定されています。

(参考)
新学習指導要領
結果公示案件詳細
意見募集中案件詳細

パブコメの意見提出を呼びかけたと思われる団体

日本教育再生機構  改訂案への『見解」  パブコメ呼びかけ
日本会議関係

2 パブコメの意義
 パブリック・コメント制度は、一般に次のような特徴を持つものです。
(1)行政機関と市民との間のコミュニケーションであり、市民相互間での議論を伴わない
(2)行政機関による原案の公示→市民による意見提出→提出意見の考慮→結果の公示という「一往復半」のコミュニケーションに限定される
(3)提出意見の多寡によらず、内容の適切さによって考慮される。
(4)行政機関の原案は熟度の高いものであり、他方市民の側の意見提出についても、分量的制約は基本的に存在しない
(5)結果の公示において、提出意見及びそれに対する行政機関の考え方の公示が(整理要約は許される)義務づけられている(参照、豊島・資料?、常岡・資料?)

 そのためこの制度については、 

「民主主義的参加手続に関する理論が従来から前提としてきた行政の意思形成の過程の民主化という目的よりもむしろ、意思形成過程における考慮事項(=意見・情報・専門的知識)をできる限り豊富化するという発想に立脚した手続」
 「実施機関が何らかの政策決定を行う場合に、できる限り民意を反映した決定を行うというよりも、むしろ、何故に当該決定を行ったのかについてできる限り合理的な説明を行うための(説明責任を果たすため)の手段である面が強い」(豊島・資料*。ただし、2006年行政手続法改正の閣議決定に基づく意見提出手続に関するコメント)

という適切な指摘が既になされているところです。(もっとも、民主主義的参加と、市民からの情報収集・市民の情報提出権とは、必ずしも二分法的に捉えるべきではないと考えられます。端緒にとどまりますが、拙稿 「『公私協働』の位相と行政法理論への示唆---都市再生関連諸法をめぐって」公法研究65号(2003.10)200-215頁でこの点を若干論じました)

3.修正のジレンマ
 「一往復半」のコミュニケーションである以上、パブリック・コメントは基本的なジレンマを抱えることになります。成熟度が高い「具体的・明確な案」(行手法39条2項)が原案として提出されることで、「後戻りできないような段階になって意見を求めるもので、その段階で提出された意見を考慮しても、原案の微修正しか起こりえないのではないか」(常岡・資料?)という問題があるわけです。修正したら修正したで、修正案について再度のパブリック・コメントが必要ではないかという問題が生じることになります。

 この点については、

意見公募手続を実施した結果、命令等制定機関が見落としていた重要な論点の指摘がなされたり、公示した案の前提となっていた事実認定を覆すような情報が提出されたため、公示した案を大幅に変更する必要が生じた場合にはどうすべきかという問題がある。この場合、修正した案が当初の案との同一性が失われる程度にまで達していれば、修正案については意見公募手続をとっていないことになるので、改めて意見公募手続を実施しなければならない」(宇賀克也『行政法概説I行政法総論』(第2版、有斐閣、2006年)396頁)

という理解が示されています。

となると、今回なされた修正の法的評価のポイントは、(1)修正が「命令等制定機関が見落としていた重要な論点の指摘がなされたり、公示した案の前提となっていた事実認定を覆すような情報が提出されたため」だったか(2)修正が「大幅な変更」にあたるか、さらに「同一性が失われる程度にまで達している」といえるでしょう。

ただし、パブリック・コメントが多数決でないということについてはほぼ見解の対立はないでしょうが、「命令等制定機関が最終の命令等を制定するに当たって、同趣旨の意見が国民から極めて多く提出されたという事実をそれなりに重く受け止めるべきであろう」(常岡・資料?)という指摘もあるところです。

他方、仮に今回寄せられた意見については、特定の団体の呼びかけに応じてなされた面もあるようです。いわゆる「組織票」とまで言えるかどうかはわかりませんが、仮に組織票だとしても、そういった団体が存在するということを考慮に入れること自体が禁じられているとまでは言えないでしょう。ただその場合でも、命令等制定機関は、「意見が多数寄せられた」という事実の陰に隠れるのではなく、あくまで自らの責任において修正したのだということを明確にする必要があります

4.原案と修正案の関係

 原案の大幅な修正が認められる場合、常岡・資料?が指摘するような

「たとえば、国民の大きな反発が予想される条項を外した原案を作成してそれについて意見を求め、提出意見を考慮して修正したと称して、反対の強い条項を最終的な命令等に潜り込ませることがおきるかもしれない」

という事態が起きないとは限りません。

今回の場合、そのような悪意ある運用がなされたとまで断ずる十分な根拠はないかもしれません。

しかし今回の修正は、意思形成過程の記録により説明責任を果たすというパブコメの機能の限界を示しているのではないでしょうか。

 パブコメで「原案<修正案」の方向の意見が寄せられた場合、命令等制定機関が最終的に原案を維持する場合であれば「原案>修正案」の論拠が「回答」で示されることになりますが、今回問題とされた例のように修正されてしまう場合、後者の論拠が意思形成過程の記録に残らないことになります。パブコメは基本的には命令等制定機関の原案に対して意見を述べるものですから、意見の中に「原案>修正案」の論拠が示されていることもあまり期待できません。パブコメの最も重要な機能が説明責任を果たすことにあるとするならば、これはかなり問題です。

 今回「君が代」については、

(原案)「君が代」は、いずれの学年においても指導する
(修正)「君が代」は、いずれの学年においても歌えるよう指導する

という修正がなされたわけですが、「『歌えるようになる』指導まで一律に求めるべきではない」という意見の人がいるとすれば、そのような意見の存在とその論拠は意思形成過程において反映されなかったことになります。仮に「歌えるよう指導する」が原案として提示されていたとすれば、上のような意見とその論拠が提出されていた可能性はかなりあるのではないでしょうか(*)。

もっとも、「だったらどうすべきか」、は難しいです。

ありうべき方向性としては、しばしば行われているように、市民の間で大きく意見がわかれそうな問題については、できるだけ早期の段階で両論を併記してパブコメを行い、論点と論拠を整理しておくことでしょう。行政手続法のパブコメはほぼ最終段階でなされるを予定するものですから、法定のそれとは別のものと位置づけることになると思われます。

もう一つの方向性としては、「パブコメは説明責任のためのもの」と割り切り、大幅な修正は基本的に許されないものと考える、民主主義的参加については別の手法に期待する、というものですが、市民の意見提出の意欲自体を失わせるおそれがあること、別の参加の仕組みが常に整備されているわけではないことからすると、なかなか難しいでしょう。確立した法的義務を伴う仕組みが現状ではパブコメしかないことを考えれば、多様な機能を当分の間期待せざるを得ないと思われます。

(*)(4/12追記) 3月28日付の日本教職員組合の「書記長談話」では、
「小学校・音楽では、「君が代」を「指導すること」が「歌えるよう指導すること」と変更された。音楽における指導とは、「表現」と「鑑賞」であり、わざわざ「歌えるよう」を付加した意図が明確ではない。また、学校には、国籍や宗教等に関わってさまざまな子どもたちがいる中で、子どもの権利条約の観点からも公教育において子どもに歌うことを強制することはできない。」
と述べられています。こういった意見およびそれに対する命令制定権者の「考え方」(「反論」)が記録にとどめられることが、説明責任の観点から望ましかったことは言うまでもないでしょう。

5..審議会との関係

asahi.comには掲載されていませんが、朝日新聞の上記記事の署名解説には、

「小中学校の学習指導要領が告示段階で修正され、「愛国心」などが総則に入った。文部科学省は「現場の指導に影響が出る変更ではない」としているが、中央教育審議会が約3年をかけ、多様な意見をまとめた答申が基になっていることを考えると、土壇場の変更には疑問が残る。」

とあります。

一般に審議会とパブコメとの関係は悩ましい問題です。特に、中教審の場合は、まさに教育という領域の専門性の高さに着目して、政治と一定の距離を置くことを前提として設けられているという性質が強いのではないかと思われます。「歌うことの指導」が教育上・人格形成上もたらしうる意味(プラスとマイナスの双方)なども、教育専門家の観点から議論して欲しかったように思えます。

もっとも、「愛国心」教科等の方向でパブコメを呼びかけた人々は、「政治と距離を置くこと」それ自体を良しとしないのかもしれません。また、もう一つの審議会である教育再生会議との関係も確かに難しいものがあります。

(参考)中教審答申

<資料?>
豊島明子「パブリック・コメントの意義と課題」室井力編『住民参加のシステム改革−自治と民主主義のリニューアル』(日本評論社、2003)174-197

「これらの目的からまず明らかなことは、パブリック・コメントという手続が、行政の意思形成過程において単に国民からの意見を考慮するのみならず、?で示されているように、国民等からの多様な情報や専門的知識を把握するという趣旨をも盛り込んだ手続であるという点である。そしてまた、意見・情報・専門的知識の提出権者が「国民等」とされていることから、主権者たる国民以外の者からの意見提出をも広く念頭に置いている手続であるといえる。したがって、国のパブリック・コメントは、民主主義的参加手続に関する理論が従来から前提としてきた行政の意思形成の過程の民主化という目的よりもむしろ、意思形成過程における考慮事項(=意見・情報・専門的知識)をできる限り豊富化するという発想に立脚した手続であると見ることができる。そしてこのことは、国のパブリック・コメントが行革や規制緩和と強く結びついており、説明責任の履行を目指して制度化されたこととも符合すると考えられる」(177頁)
「第一に、パブリック・コメントは、民主主義的参加手続という性質をもつ手続であると同時に、主権者たる国民・住民以外の者も含む多くの者からの情報または専門的知識の収集をも目指した手続であることから、純然たる民主主義的参加手続とはいいがたいという特質を有していると解される。後者の、国民・住民等からの情報や専門的知識の収集手続という特質に着目すれば、パブリック・コメントは、行政の行う意思決定過程におけるできる限り多様な考慮事項の集約を図るための手続であり、主権者たる国民・住民の参加手続というよりは、当該案件に関する専門家からの多様な情報・知識の収集手続として把握されうる。」(186頁)
「そもそも、パブリック・コメントは、既存の意見書提出や公聴会の手続と同様に、提出された意見の数の多寡によって事を決する多数決的な手続ではない。それゆえ、提出意見がたとえ1件であったとしてもそれが採用される場合がありうるし、提出意見のなかに対立する二つの意見が存在し、かつ、そのうちの一方が圧倒的に少数意見であったとしてもそちらが採用される場合もありうるという性質の手続である。それゆえ、パブリック・コメントは、実施機関が何らかの政策決定を行う場合に、できる限り民意を反映した決定を行うというよりも、むしろ、何故に当該決定を行ったのかについてできる限り合理的な説明を行うための(説明責任を果たすため)の手段である面が強いと見られるべきであろう。」(189-190頁)

<資料?>
常岡孝好『パブリック・コメントと参加権』(弘文堂、2006年)

「同趣旨の意見が相当多数提出されたとしても、それで命令等制定期間の判断が拘束されるわけではない。同趣旨の意見が極めて多数に上っても、最終の命令等がこの意見を採用するよう拘束されることはない。もちろん、命令等制定機関が最終の命令等を制定するに当たって、同趣旨の意見が国民から極めて多く提出されたという事実をそれなりに重く受け止めるべきであろう。」(46頁)
「このように、改正法案が定める意見提出手続は、命令等制定の初期の段階で広く国民の意見を求めるものではなく、早期の参加が保障されていないきらいがある。そこで、後戻りできないような段階になって意見を求めるもので、その段階で提出された意見を考慮しても、原案の微修正しか起こりえないのではないかと言われるかもしれない。宇賀(『改正行政手続法とパブリック・コメント』)45頁は、案が具体的になるほど修正が困難になる傾向があるので、提出意見を十分に考慮して柔軟に対処することが期待されるという。ただ、改正法案は、後戻りの可能性を認めているといえよう。つまり、原案の大幅修正が起こりうることを認めており、その場合、第2ラウンドの意見提出手続が行われるとしている。宇賀・前掲書54頁は、当初案から同一性が失われる程度に大幅修正が行われたとき、修正案については意見提出手続をとっていないので、改正法43条4項括弧書を根拠に、改めて意見提出手続を実施しなければならない、とする。」(70頁註22)
「本改正法案のパブリック・コメント手続は、提出された意見を考慮して原案をよりよいものに修正し命令等を最終的に決定する手続である。それゆえ、原案の修正がもともと織り込まれた手続である。しかし、原案が無制限に修正可能だとすると逆に問題が生じる。たとえば、国民の大きな反発が予想される条項を外した原案を作成してそれについて意見を求め、提出意見を考慮して修正したと称して、反対の強い条項を最終的な命令等に潜り込ませることがおきるかもしれない。」
「しかし案の修正を無制限に認めると弊害もある。公表された案とまったく異なる最終決定が行われることを認めることになるからである。そうなると、論争の的になる規定を案の公表段階では意図的に公表せず、最終段階においてこれを盛り込んで意思決定すると言うことが出てくる。これでは何のために案を公表したのかわからない。提出された意見・情報もある意味で的外れなものになってしまう。行政機関がこうした争点隠しの戦術をとることに対し歯止めを用意しておくべきであろう。ただ、総務庁案では、提出された意見・情報に対する行政機関の「考え方」を公表することになっているので、これがある程度の歯止めになるといわれるかもしれない」(195頁、初出1999年→閣議決定に関して)

<資料?>
『逐条解説行政手続法(18年改訂版)』(ぎょうせい、2006)「42条解説」

「命令等制定機関における「考慮」は、提出意見の内容に着目して行われるものであって、提出意見の多寡に着目するものではないし、まして、これらの意見による多数決を導入するものではない。」(316頁)
「命令等制定機関は、命令等を定める権限を有するのであり、かつ、その内容を適正なものとする義務を負うのであるから、提出意見を考慮した結果とは別に、命令等制定機関の判断と責任において、命令等の案を修正することも許容されるが、公示した案と同一のものと判断し得ないほどに修正された場合には、改めて意見公募手続を行う必要が生じるものと考える。この場合であっても、命令等制定機関は、第43条第1項により、提出意見を踏まえての修正であるか否かを問わず、『意見公募手続を実施した命令等の案と定めた命令等との差異』を公示すべきこととされていることに留意する必要がある。」(317-318頁)

<資料?>
行政手続法検討会報告 2004年12月17日
「意見提出手続は、多種多様な行政立法に共通に考えられる手続であるところ、行政手続法の目的である行政運営における公正の確保及び透明性の向上という目的に資することが挙げられる。また、情報を収集することによる行政立法機関の判断の適正の確保の目的又は判断の過程への国民の適切な参加の目的にも資する。さらに、この手続の中で、国民に対し行政立法の内容を分かりやすく知らせる努力がなされることに着目し、透明性の向上から進んで政策情報の積棲的な提供へと、行政のスタイルを望ましい方向に変えるものであるとの指摘もあった。
(略)
なお、上述のような目的の制度であることから、提出された意見が多ければ拘束力を持つといった多数決の考え方をとるものではない。意見の内容が適切であれば、提出した者の数の多寡にかかわらず、生かしていくべきである。」(5頁)

<資料?>
規制の設定又は改廃に係る意見提出手続閣議決定時代のもの)
 規制の設定又は改廃に伴い政令・省令等を策定する過程において、国民等の多様な意見・情報・専門的知識を行政機関が把握するとともに、その過程の公正の確保と透明性の向上を図ることが必要である。このような観点から、規制の設定又は改廃に当たり、意思決定過程において広く国民等に対し案等を公表し、それに対して提出された意見・情報を考慮して意思決定を行う提出手続(いわゆるパブリック・コメント手続)を、以下のとおり定める。

<資料?>
<第162国会衆議院総務委員会2006年6月9日(会議録18号)>

○五十嵐委員 特に特効薬みたいなものはないと思いますので、当面公表で対応するということで、あとは、行政側の心構えとして、大臣おっしゃるとおりに、法の趣旨を生かしていただくということだろうと思います。
 一方、逆に今度は、組織的な応募があって、どうかと思われる意見がたくさん集中して、数だけ公表するとその意見が圧倒的多数になってしまうというようなこともあり得るんですね。こういうことについて、そのまま公表するということでこれは仕方のないことなのか、それとも、これは組織的な同種同文のコメントであったというようなことを含めて公表すればいいということなのか、その辺のところもお伺いをしたいと思います。

○麻生国務大臣 そのようなことがあり得るというのは、特定の大臣を批判するといきなりばあっと、メールでいただければよろしいんですけれども、ファクスなんかで来るとファクスの紙代はこっちなものですから被害も出てくるというので、正直迷惑する話は今までもいっぱいあります。
 そういった意味では、こういったものは広く一般から意見を聴取するものではあるんですけれども、今言われましたように、同じ意見で組織的にやられた場合の話でいけば、数量ではかるんじゃないということであって、やはりその意見の内容の適正とか合理性とかいうものに着目しなければならないのではないかと思っております。
 やはり中立とか公平とか公正とかの立場から考慮するというのが最も大事なんだと思いますので、特に意見の内容とかまた考慮した結果などを公示するということによって、意見の公正というものを図っていかないかぬと思っておりますが、出されました意見というものを必要に応じて整理して、きちんとその内容を要約して公示するということもまた必要な方法かなと私どもは基本的に考えております。

(略)

○寺田(学)委員 その政省令というか命令等に関してまず原案を出して、それに対して意見を募るということなんですが、その原案自体がどのように出されるかということもまず第一歩として大事だと思うんですね。
 三十九条二項の方に、具体的かつ明確な内容のものというような規定があります。言いかえると、どのような形で原案を出すか、案の成熟度ということも非常にかかわってくると思うんですね。いろいろな政省令があると思うので、一律的な基準は難しいのかもしれませんが、大体の目安として、例えば、この間はブラックバスの規制に関してのパブコメがありましたけれども、禁止する魚の名前とか外来種の名前を列挙するぐらい具体性を持たせるのがいいのか、それとも、どのようなものを禁止すべきでしょうかという形の投げ方もあるでしょうし、もっと引き下がって、どのような基準のものを禁止すべきでしょうかという聞き方、大きく分けて三段階ぐらいあると思うんですよね。
 三十九条二項の、具体的かつ明確な内容のものというのはどのようなことを指しているのか、御答弁いただければと思います。

○藤井政府参考人 お答えいたします。
 成熟度というようなのは、御指摘のとおり、なかなか具体的には説明しづらいところがあるわけですが、ただ、ちょっと説明の仕方が変わるかもしれませんけれども、行政機関の中で政省令を考える場合、まだ検討中の、言いかえるとふらふらしているような段階、そういった段階での案を国民にお示しするということはある意味で国民に対して失礼でもありますし、仮に意見が出てきても、再度最終段階で意見を聞くべきだということが当然議論として起きてきます。
 そういう意味で、御意見をお聞きする案というようなのは、やはり行政機関内で相当検討された上で、それで、最終案とは申しませんけれども、最終的な段階の案を示されるということをこの制度は前提としております。
 それで、ブラックバスがいいかどうか、そういうようなカテゴリーで、そういう場合もあるのかもしれませんけれども、極めて抽象的な言い方でございますが、いわば、行政機関の中でやはり相当判断した上で、自信を持って、行政機関としてはこういうふうに考えるんだけれどもというぐらいの熟度の案という意味で、この具体的に明確にという言葉を使わせていただいております。

(略)

○寺田(学)委員 もともと性善説に立ったり、大体はいい人間だというようなことに立つのであれば、そもそも規制する必要はなかったり、こういうような制度はないわけで、性悪説に立っているというか、もともと性格が悪いというか、隠ぺいするようなことがあるからこそ、要は、法律の施行日だって省令で定めるということもあるでしょうし、そういうようなことをいろいろ駆使して隠していくということが今まであったからこそ、こういうのが出ていると思うんですね。そこら辺はかなり重要性を持って考えられたらいいと思います。
 それと、意見を募集した後に意思決定をするわけですけれども、その意思決定内容というものがどれほど原案からずれていていいのかということも、この制度の本質を担保するためには大事だと思うんですよね。
 かなり具体的なものを列挙して、具体性のある原案を出して、それに対して意見が来た、そのときに、意見が来たもの以外のものを最終の意思決定として省庁側から出すということもあるのかなと思うんですよね。私が性格が悪いなりに考えてみると、ここにもともとさらしたくないものがある、さらしたくないある箇所があって、それをわざと原案には載せない、載せないでパブコメに出して、意見をばっともらって、その意見の中に入っていない、当初から隠してあるものを最後にぽんと載せて、最終的な意思決定ですとやることもできると思うんですよね。
 どうなんでしょう。ここら辺、原案に対して最終の意思決定をする、でき上がったもの、要は修正の限界点というのはどれぐらいにあるんですか。

○藤井政府参考人 御指摘の点はごもっともだと思うんですが、これもなかなか一般的な形式的基準ではお答えにくいところであろうかと思っております。
 ただ、この制度が前提にしているのは、やはり国民に案を示して、その意見を考慮した上で決定する、こういうシステムを前提としておるわけですから、国民に意見を聞いていないもの、そういったもので決めるというようなのは、この法律の趣旨に反することでございますので、決して適法とは言えないと思っております。
 また、では実質どこまで認められるかということになりますと、これはやはり個別具体的なケースごとに見ていかなければいけないことになると思うんですが、一番重要なのはやはり国民の権利義務に直接かかわるようなルールなわけでございますから、そういう国民の権利義務に実質的に影響のあるような変更を案を公示しないでやるということは、この法律は認めていないというふうに私どもは理解しているところでございます。

○寺田(学)委員 では、原案に載っていないもので新しい意見がないものを最終の意思決定として出すのはだめだということですよね。どうですか。

○藤井政府参考人 先ほどの御答弁の中でも実質的という言い方をしたかと思いますけれども、形式的であって、軽微であって、国民の権利義務に直接かかわるものではないというものはあり得るかと思いますが、そこはなかなか、明確にこういう場合はこうだというようなのは、今こちらではお答えしにくく、まさに個別の事例に即して判断していかざるを得ないというふうに考えているところでございます。

○寺田(学)委員 正直、結構ざるになっちゃうと思うんですよね、こういうものは。なぜにざるになるかということは、正直なところ、違反しても、前回の閣議決定の部分での、要は違反、手続ミス、そういうものが多々あったみたいですけれども、それに対しての罰則が何にもないわけですよね。だとしたら、多少専門家からちくちく言われようとも、こんなもの無視しちゃえとか、こんなものいいかげんにやっちゃえということはできるわけですよ。これは罰則を設ける気はないんでしょうか。

○藤井政府参考人 罰則の件でございますが、これも、従来の情報公開法とか個人情報保護法なんかの御論議でも出てきたわけでございます。基本的に、この法律もそうですが、法律の義務の対象は実は行政機関ということでございまして、組織に課しているところでございます。組織の長というのは、恐縮ですが、大臣でございますが、その方々に対する義務という形でつくられているところでございます。
 実際、この法律の趣旨に反した行動をするというのは補佐機関である職員ということになるわけですが、こういう職員が法律に反した行為をするということについては、既に一般法としての国家公務員法等で、法令遵守義務とか上司の命令に従う義務とか、そういう法律が定められておりまして、いわば、そういう一般法である国家公務員法のもとに、行政機関の長の方のいわば指揮監督の中で適正に法律を執行する、そういうシステムがこれまでずっとつくられてきたということでございます。
 したがいまして、この法律で特別に罰則を設けるというようなことはしていないということでございます。