室井力先生を偲ぶ会

このブログでは個人的な所感等はあまり書くつもりはないのですが、今回は例外とさせていただきたいと思います。

8月6日、室井力先生を偲ぶ会(木佐先生のHPより)に出席して参りました。自分が公法を学び始めたときにその名前をまぶしいような気持ちで覚えた先生方が次々と弔辞を読まれ、修業時代の自分を思い出しました。

実のところ、その場の出席者の中で、私は室井先生との直接の接触がもっとも少ない人間の1人だったのではないかと思います。直接言葉をかわさせていただいたのは、ただ一度、酒席においてだけだったと記憶しています。

しかし、学部時代にわけもわからないまま手に取った『特別権力関係論』や、「行政法学方法論議について」(『行政改革の法理』所収)は、渡辺洋三先生の著作と並んで、私がこの業界に興味を持つきっかけになった著作の一つでした。それを室井先生からの最初の学恩と考えています。

そして、より大きい恩義は、後に『現代国家の公共性分析』(日本評論社)に結実するに至る、室井先生とその「シューレ」の先生方のお仕事から受けています。私は修士課程から博士課程をへて社会科学研究所の助手時代に至るまで、これらの貴重な作業に向き合い、その成果の価値を認めつつその方法論の批判から出発することで、自分の「公共性論」を構築することを目指していました。帰省を別とすれば東京を離れることも少なく、そもそもあまり社交的な人間ではなかった私は、これら先生方の直接の薫陶を受ける機会を積極的に作ることもないままに、まだ見ぬ先生方を批判する文章を書き連ねていたわけです。乗り越えようと思いたくなるような対象が目の前にあったこと、それはとてもありがたいことだったと今になって思います。

さすがに私も、最低限の社会的常識はありましたから、拙い抜き刷りをおっかなびっくり室井先生や他の先生方にお送りしました。そして、室井先生から励ましとお褒めの言葉を含む礼状をいただいたときの感激は今も忘れません。

大阪で学会が開催されたときの酒席が、先生と親しくお話しした唯一の機会となりました。決して長い時間ではありませんが、「ああ、君が...」という言葉に加え、残念ながら具体的には覚えていませんが、励ましの言葉をいただいたことを記憶しています。「偲ぶ会」で飾られていた遺影は、そのときの室井先生の表情そのままでした。失礼ながら、偉大であるだけに「怖い」先生というのが室井先生についての一般的な評判でした。それだけに、不埒にも批判の言葉を書き連ねる遠くの若造に対して、先生が示してくださった温顔をしっかりと記憶しています。

上で目指していた博士論文は、一部を公表し得ただけで未だに完成していません。室井先生からいただいた学恩の一部すら返していません。そして、もっと強く感じるのは、「後進の研究者に対して自分は何をしているのだろう」ということです。忙しさにかまけ、せっかく送っていただいた抜き刷りすら読めないままでいることが多い自分は、室井先生始め大先輩の先生たちから受けた恩義を裏切っていることになるでしょう。そして、それ以前に、そもそも乗り越えたくなるような対象を作り出さなければならないとも思いました。自分への浅薄な批判を含む拙い仕事を我慢して読み、暖かい言葉をかけてくださった室井先生のことを思いだし、後の世代への責任をどのように果たすべきか、考えた次第でした。

(少し追記しました(8月9日)