透明人間:その後

昨日のエントリで触れた「透明人間」について、木佐茂男先生よりメールを頂きました。そのご趣旨は、

・「透明人間」論は、行政手続法制定以前から話題になっていて、某先生がこだわっておられた
・本来、「透明」ではなく、行政手続の「MRI透視」あるいは「PET透視」なのではないか

というものでした。前者の点について、実は他の同業者からも同じような指摘をいただきました。某先生にお会いするときにお伺いしてみようかと思います。

後者についてですが、

基本的に理系音痴の人間なのですが、なぜか「日仏先端科学シンポジウム」に出席させていただいたことがあります。分子イメージングに関する報告を拝聴して、今までそもそも顕微鏡の原理すら考えたことがなかったことに気づきました。光学的な拡大以外の原理によって「見えないものを見よう」とする以上、「全く同じ像」が伝達されているかどうかを問うことは難しくなるでしょう。もはや即自的な「見る」ことではなく、観察者の観察目的との相関を考えざるを得ないのではないでしょうか。(さっぱりわかりませんが、こんなニュースもあるみたいですね)この意味で、PETによって得られる画像が形態画像ではなく、機能画像だというのも、考えてみれば面白いと思います。

透明=単に遮蔽物がないか(あるいは透明ガラス)ではなく、何らかの観察(診断)目的に規定された「透視」可能性が問題なのだ、という意味で、木佐先生の指摘は卓見だと思った次第です。付け加えれば、ユーザーのための「画像化」のありようも問題になるでしょう。

ちなみに、医用画像処理においては、観察対象である人体に侵襲性がないことが、もっとも重要な考慮要素でしょうが、行政活動に対する「透視」は、観察が対象に影響を与えることを当然に予定している点で、大きく異なっているような気がします....