みなし道路の一括指定と無効の瑕疵

辰巳法律研究所のHPによると、新司法試験論文式公法系第二問でみなし道路一括指定(最判2002.1.17民集56-1-1)に関係する問題が出題されたそうですが(あ、お疲れ様でした>受験生の皆さん)、実はこの判例(本来評釈を執筆する予定で以前研究会で報告したのですが...情けない限りです.)について、昔から気になっていることがあります。

上のHPでの解説に、
「一括指定の処分性を前提に、無効確認訴訟の要件を充たすことは難しいことから、」とあります。

問題文全体はまだ参照できませんし、また、上の「無効確認訴訟の要件」というのが訴訟要件(36条後段?)のことか本案勝訴要件のことか不明なのでよくわからないのですが、これと関連して、同事件についてよく受ける質問を思い出した次第です。

つまり、「一括指定告示(1962年)に処分性を認めると、当然ながら出訴期間はとうの昔に過ぎているので、重大明白な瑕疵しか主張できないことになり、原告の勝ち目はないのではないか」というものです。

1.確かに一般的に言えば、処分性を拡大することが取消訴訟の利用強制という不利益と結びつくおそれがあるという考え方はありえ、当事者訴訟(特に確認訴訟)活用論者からの処分性拡大論批判の一つの論拠になっています。最判2004.4.26(食品衛生法違反通知)最判2005.7.15(病院開設中止勧告) などでは、これはかなり重要な問題です。最高裁がこの点をどう考えているのかは定かではありません。最判2005.10.25(病床数削減勧告)の藤田裁判官補足意見は、

行政事件訴訟法の定めるところに従い取消訴訟の対象とする以上は,この行為を取消訴訟外において争うことはやはりできないものというべきであって,こうした取消訴訟の排他的管轄に伴う遮断効は(これを公定力の名で呼ぶか否かはともかく)否定できない」

と割り切っています最判2004.4.26についての判例時報匿名コメントも同じような立場です)が、最判2005.7.15に関する杉原調査官評釈は、むしろ形式的行政処分論に近い立場を示唆しています。

2.ただ、すくなくともみなし道路事件に関する限り、「一括指定を争う抗告訴訟において、告示そのものに重大明白な瑕疵がない限り原告は勝てない」という立場はあまりにも非常識であり、そのような不合理な立場を最高裁がとっているとはいくらなんでも考えがたいように思います。みなし道路について、一括指定という方式自体が適法かどうかの議論はありますが、上記最判はその方式を適法としています。一括指定「方式」は適法だが、この事件での一括指定告示(幅員4メートル未満1.8メートル以上である道を指定)は(それ自体が)違法だという主張には相当に無理があるでしょう。

 また、みなし道路をめぐる紛争事例では、もちろん特定の土地について争われるわけですが、告示の時点で行政庁が当該土地について判断を示しているわけでもありませんし(だからこそ一括指定がなされたわけですが)、当事者の側から見てもその時点で訴訟で争うことを期待することはおよそ不可能です。当事者の違法主張を遮断することの合理的な根拠はおよそありません。とはいえ、この点が判決文自体では明確に論じられず、はっきりしないのも事実です(橋本博之「処分性論のゆくえ」立教法学70号295頁(299頁))

3. では、一括指定=処分とした上で、違法主張が遮断されないことをどう説明するのでしょうか。

上記最判は、
「本件訴えは,本件通路部分について,本件告示による2項道路の指定の不存在確認を求めるもので,行政事件訴訟法3条4項にいう処分の存否の確認を求める抗告訴訟であり」
と述べています。

3条4項の「処分または裁決の存否」=不存在と「その効力の有無の確認」=無効の概念的区別を前提として、当該訴訟は前者だとしているわけです。

最高裁は、告示による一括指定を「具体的な個々の道に対する指定処分(可分的)の集積」ととらえているように思われます(竹田調査官の評釈(法曹時報56巻11号)では、「一括指定は,指定に際して多数の対象土地を個別的に明示することが煩頬であるためそれを省略したものにすぎないものとみることも可能であろう。そうすると,一括指定であっても.その指定対象は具体的な個々の道であり,処分は必ずしも不特定多数人に向けられたものではなく.個々の道路に関する多数の権利者に向けられたものということができ」るという考え方が示されています)。その前提に立てば、本件訴えは、「本件通路部分については指定が存在していない」と理解することができ、告示の有効性と「個々の道に対する処分」の存否とは切り離して判断できるというのでしょう。実際には個々の道についての行政庁の認識は告示時点で存在しないため、かなり擬制的な構成といわざるを得ませんが.....

「不存在確認訴訟」はそもそも実例が少ないのであまり論じられてはいない印象がありますが、「存在しない」処分について瑕疵云々を論じることは無意味であり、瑕疵の重大明白性は要求されないと理解することも可能です。

少なくとも本件に関する限り、告示は個々の道に関する行政庁の有権的判断ではない以上、その判断に対する第三者の信頼を論ずる必要もないわけですから(実際の紛争では、告示よりも後の時点で確定した行政庁の事実上の認識(実務上行われている照会も含む)に対する第三者の信頼が問題になり得ます)、瑕疵の明白性を求める実質的必要性が欠けていることになります。(ちなみに、重大性については、実はあまり問題になりません。たとえば個別指定の場合、客観的には二項道路の要件に該当しない道を二項道路として指定したとすれば、それが処分の本質に関わる「重大」な違法であることは疑う余地がないと思われます。一括指定を、具体的な個々の道に対する処分として可分的なものととらえるとすれば、この点も同様に考えられます。)

このように理解すれば、当該通路が二項道路の要件に客観的に該当しないのであれば、非該当が明白であるかどうかを論じるまでもなく、原告は勝訴できることになります。こう考えない限り、最高裁の態度はあまりに不合理なことは、既に述べたところです。

ちなみに前掲竹田調査官の評釈は、少し違う文脈ですが、次のように述べています。

「このような一括指定がされた後は.個々の通路が法42条2項の要件及び一括指定で示された要件を満たすか否かを客観的に判断するということになるが,要件充足の有無は.訴訟において.裁判所が認定判断すべき事項といえ,この点において特定行政庁の裁量判断が問題となるものではないし.指定の有無は,建築主事の建築確認や特定行政庁の除却命令の発令についての判断によって左右されるものではないであろう。」

4.ちなみに行訴法36条の「現在の法律関係に関する訴えによって目的を達することができない」との関係ですが、一括指定=処分としたときに(a)当事者訴訟は困難という見解(竹田調査官評釈)(b)当事者訴訟は平行して可能という見解がありえます。(a)であれば当然36条は問題になりませんし、(b)であっても、最判1992.9.22もんじゅ判決によれば、無効等確認訴訟が「より直截的で適切な訴訟形態」といえれば、36条はクリアーできることになります。
 そもそも、抗告訴訟と当事者訴訟の関係に関する一般論に関わる難問になってしまいますが、性質決定に争いがある行政作用についてわざわざ処分性を認めておきながら、「当事者訴訟で目的が達成できるから無効等確認訴訟は不可」という立場をとることにはあまり合理性がないでしょう。特に、上記最判は旧行訴法下のものですから、この立場をとると、被告が違うため当事者訴訟に変更もできず却下となり、大阪空港以上の「意地悪判決」になってしまいます。最高裁が訴訟を適法と認めて同事件を差し戻ししたこと自体、36条をクリアーしているという判断を前提としています。(判決文自体「本件訴えは、.....同法36条の要件を満たすものということができる」と明言しています)

こう考えていくと、最近の最高裁の処分性拡大傾向(前掲橋本論文が大変明晰な分析を提示しています)の中でも、この事件はちょっと毛色が変わっていて、別に取り扱わなければならないのではないかな、という気がしてきた次第です。おそらくそれは、これが対人的なものではなく物あるいは空間を対象としたものであり、本質的に多数人に関連するものだということに関連しているのでしょう。この点、そもそも、個別指定の行政処分性に立ち返って議論が必要ではないかというのが、ずっと考えていたところです。.